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大日窯・有田焼(佐賀)

大日窯・有田焼(佐賀)

有田焼について

豊臣秀吉の朝鮮出兵を機に連れられてきた朝鮮人陶工により、日本ではじめて磁器が焼かれたのが佐賀県有田町でした。焼かれた製品が伊万里港から出荷されたことから伊万里焼とも呼ばれます。多彩な技法や色絵が有名で、ドイツのマイセンなどにも影響を与えたといわれます。現在の有田は、それらの伝統を継承するつくり手、作家、メーカー、商社などが乱立し、民藝的な精神をもった窯はほとんどなくなってしまいました。

大日窯

1958年に開窯された大日窯初代の久保英雄さん、先代の徹さん、そして現在の窯主である博志さんがともに目指してきたのは、古伊万里の再興。その中でも、江戸時代に淀川を行き来する船で使われた庶民の雑器「くらわんか手」の復刻に取り組んできました。陶土は「エリ下」と呼ばれる最低の土をあえて用いることで、焼いたときに鉄分が表出し、それが味となりました。磁器といえば華やかな絵付けを施したものに注目が集まりますが、大日窯では古伊万里をベースとした素朴でシンプルな絵付けのうつわをつくり続けています。

特徴

「絵付けをするのであれば、最小限の絵付けをしなさい。できるだけ幾何学模様、縞模様でまとめ上げなさい。」と鈴木繁男氏から助言を受けた通り、ひかえめな飽きのこない器が特徴です。また、かたく割れにくい土を使っているため、ちょっと落としたくらいでは割れない丈夫さも特徴のひとつです。

魅力

素朴で流れるような絵付けと、和洋問わずシンプルで飽きのこない懐の深さが魅力です。

大日窯
有田焼の窯元。現在は久保さん親子で窯を切り盛りする。
1958年に開窯された大日窯初代の久保英雄さん、先代の徹さん、そして現在の窯主である博志さんがともに目指してきたのは、古伊万里の再興。
その中でも、江戸時代に淀川を行き来する船で使われた庶民の雑器「くらわんか手」の復刻に取り組んできました。

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