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瀬戸本業一里塚窯

瀬戸焼とは

瀬戸焼は8世紀(平安時代)、瀬戸の南に位置する猿投山に端を発する日本古来の窯場で、朝鮮人陶工の影響を影響を受けている窯とは成り立ちが異なります。 常滑、越前、信楽、丹波、備前とともに六古窯と呼ばれている瀬戸。鎌倉から室町時代にかけては、この時代で唯一釉薬が施された「古瀬戸」が生産されていました。灰釉、織部釉、黄瀬戸釉などの多彩な釉薬、白く美しい陶土などの条件から日用雑器のみならず、茶道具、美術工芸品なども作られ、陶器生産の中心地となりました。その繁栄は「瀬戸物」という言葉が、東日本の焼き物全般を指す言葉として用いられていることからも分かります。 19世紀に入ると磁器の生産が始まり、これを「新製焼」、従来の陶器は「本業焼」と呼ばれ区別されました。磁器、陶器、大手メーカー、作家ものなど現在も一大窯業地として知られています。

瀬戸本業一里塚窯

そんな中、民藝の精神を受け継ぎ、陶器を作り続けているのが瀬戸本業一里塚窯です。瀬戸本業一里塚窯は、約300年に渡り瀬戸本来の日用雑器作りを生業としてきた瀬戸本業窯から分家。2代目である水野雅之さんは、本業窯7代目水野半次郎氏のもとで修業後、本業一里塚窯を継ぎました。かつては10人近くの職人を雇い、巨大な登り窯で器を焼いていた本業一里塚窯ですが、現在の作り手は水野さんひとり。瀬戸本来の器がガス窯で焼かれています。

小春花製陶

瀬戸を代表する紋様のひとつ「麦藁手」は、柳宗悦が『手仕事の日本』で品野の特産として紹介したことで知られます。作家的なスタンスで麦藁手を描く人はいますが、商業的に一日数十個と描くことができるのは、瀬戸品野でも小春花製陶の加藤宏幸さんお一人だそうです。2013年に約40年もの間、麦藁手を描き続けたお母様の万佐代さんが突然他界され、その後当主の俊次さんも他界。伝統の紋様が途絶える危機に瀕しました。当時、宏幸さんは独自の絵付けを志向されていましたが、ご両親が立て続けに逝去され、代々受け継がれて来た技が途絶えてしまうという危機感から「麦藁手」の仕事を受け継ぐ決心をしたそうです。

特徴

伝統的な瀬戸焼の特徴は、品が良くしっかりとした形。余計な装飾を施さなくとも美しいのは、瀬戸の土のため。赤み、つまり鉄分のない瀬戸の陶土は灰釉を掛けるとそれだけで美しい模様、色彩が出るのです。

魅力

白味が強い瀬戸の陶土に透明釉を掛けて、還元炎で焼くと緑がかった色になります。また、酸化炎で焼くと黄瀬戸(きぜと)という淡いクリーム色が出ます。美しい色と、他の窯にはないシンプルさ、使い勝手の良さが瀬戸焼の魅力です。 麦藁手に使われる赤い顔料は「赤楽」といわれ、山から鉄分を含む土を採取し、水簸して鉄分のみを瀬戸の白い土と混ぜて泥漿にして描かれます。品の良い赤黄色は食卓に彩りを添えてくれます。

緑がかった白

緑がかった白

黄瀬戸

黄瀬戸

麦藁手

麦藁手
 

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